【公式HP】グランリビオ市谷砂土原|東京メトロ有楽町線・南北線「市ヶ谷」駅徒歩8分。3駅6路線利用可能。日鉄興和不動産の都市型ハイグレードレジデンス。

ABOUT

市谷砂土原町

庾嶺坂(徒歩6分/約430m)

今に継がれる「山の手邸宅地」市谷

現在でも使われる「山の手」という言葉は、
江戸時代の17世紀後半頃からの概念。
本来は武家屋敷地にあたる高台地、
市谷や麹町、赤坂・白金・小石川などを指して
使われた言葉です。
その中でも市谷は、江戸~近代~現代を通じて、
首都の要衝のひとつとして歳月を積み重ねてきました。

「山の手」概念図

「山の手」概念図

現代の「山の手」~JR山手線内側

山手線の内側は、ほぼ全域が武蔵野台地東端、「都心部の高台」にあたる、最も広域的な「山の手邸宅地」の概念です。

徳川御三家の上屋敷地

武家屋敷の中でも、大名とその家族が居住するのが上屋敷。徳川御三家の上屋敷が築かれたのは、紀州藩が赤坂(現赤坂御用地、迎賓館)、水戸藩が文京区後楽(現小石川後楽園)、そして尾張徳川家が市谷(現防衛省)でした。山の手の中でも最も江戸城に近い高台に位置しています。

市谷の中でも
外濠に最も近い高台・砂土原

江戸城近郊の武家屋敷地であり、
かつて徳川家康の側近であった
本多正信佐渡守別邸があったことから
「砂土原」と名付けられた地です。
佐渡守別邸の砂土で外濠端を埋め立てた
(現在の市谷田町周辺)ことも
地名の由来といわれる、高台の豊かな土壌を持つ地です。

外濠に最も近い高台、砂土原

市ヶ谷牛込絵図(出典:国立国会図書館Web Site)

市ヶ谷牛込絵図(出典:国立国会図書館Web Site)

変わらない道路と整然とした区画

現地周辺には「拂方町」(財務)、「御納戸町」(金品管理)と、幕府で担う要人が住んだ名残りが今なお地名として残っていると同時に、坂も路も当時からほとんど変わっていません。区画は整然と配され、凛とした街並みが今に継がれています。

ゆとりある敷地

武家屋敷に発祥する広々とした敷地が基盤となって今に引き継がれてきたからこそ、現在でも建て込み感の少ない、悠然とした街並みを保ち続けています。

高台の「守られてきた」邸宅地

「グランリビオ市谷砂土原」現地前面道路は、古地図内に「冨士見馬場」と記されているように当時より見晴らしのよい高台。市ヶ谷駅のすぐ近くにありながら、高台であるために静謐さを、ゆとりを留めてきた地、それが市谷砂土原町なのです。

現地周辺航空写真

現地周辺航空写真

喧騒と一線を画した高台

現地周辺断面概念イラスト 現地周辺断面概念イラスト

「グランリビオ市谷砂土原」が誕生するのは、
砂土原町においても高台地にあたる
標高約28m~29mの地。
周辺に高い建物がないその立地は、
空の豊かな広がりが感じられます。
また高台の住居地域だからこそ、
人を集積する施設が少なく、
閑静で穏やかな空気に満たされています。

逢坂(徒歩1分/約40m) 逢坂(徒歩1分/約40m)
中根坂(徒歩9分/約670m) 中根坂(徒歩9分/約670m)

※掲載の環境写真は2021年12月に撮影したものです。
※掲載の距離・徒歩分数は地図上を計測し80mを1分として算出(端数は切上げ)したものです。
※施設名称・内容などは2021年12月調べのもので、変更になる場合があります。また周辺道路、地図などの表現は一部省略・簡素化しており、実際とは異なる場合があります。
※掲載の現地周辺断面イラスト等は、周辺の立地を概念化しイラスト表現したもので、地形・建物の大きさ・距離・方向等は実際とは異なります。また周辺の建物・道路などは省略・簡略化しております。